今日夕方NHKで韓国の英語教育についてのドキュメンタリーをやっていたのでそれに関連して一席お相手願いたい。
【習うより慣れろ】
その番組の中で一番印象に残っているのは「英語は数学や化学などの学問ではなく、どちらかというと技術・家庭科のような熟練が重要な分野の学問だ」との、とある大学教授の発言。
確かに、語学というのは熟練技術であって習うより慣れろという類のものだ。車の運転と同じでどんどん使うことによって上達するし、上達すればまた新しいチャレンジをしたくなってくる。韓国では小学生からの早期英語教育が始まって10年、統一テストの結果を見ると英語は上達しているそうだが、それが今後どのように影響を及ぼすかは研究中だそうだ。
【そこに山があるから】
私が英語を好きになったのは中3の時のホームステイ以来だ。なぜかと言えば明確で、「そこに英語を使って生活している人がいた」という事実である。(細かく言えば、中南米からの移民の家庭だったので、普段の家族の会話はスペイン語だった。)
なぜ山に登るのかとアルピニストに問えばその答えは「そこに山があるから」。
同じように、なぜ英語を勉強するのかと問えばその答えは「そこに話す相手がいるから」だ。
そんな英語好きな私も挫折を味わったことがある。大学受験でおそらく相当な数の英単語を覚えていたにもかかわらず、大学3年生の時に知り合ったインドからの留学生とはほとんど英語で話せなかったのだ。しかも、彼女はたった半年で日本語を完璧にマスターしてしまい、英語を話す必要すらなくなってしまったのだ。話す相手がいなければ言語はだんだんと退化していくし、インプットだけではアウトプットが出なくなる。
だからこそ、英語教育では話す場を作る必要がある。
ブロードバンドが広がった今日、世界と音声や動画でつながることはそんなに難しいことではない。言葉が分からなくても、そこに「英語で生活している人がいる」「英語でコミュニケーションしなければならない相手がいる」という認識が英語教育を大きく変えていくはずだ。もっともっと、子供たちに海外とのつながりを認識させる必要がある。ましてや、今日本は食料も含め海外からの依存なくしては成り立たない国なのだから。
【それでも消えない欧米コンプレックス】
こんな経験もある。塾経営をしていた頃、ネイティブスピーカーに英会話を教えてもらっていた。そのネイティブスピーカーは中国系のアメリカ人。当然アジアンな顔をしている。世の奥様方にはそれがなかなか受け入れてもらえなかった。次にお願いした先生はアフリカ人。当然英語の能力は折り紙付き。でもやはり受け入れてもらえなかった。もう、今日日白人コンプレックスも無いだろうと思っていたが世間はそうではなかった。英会話=欧米人という図式から抜け出すことができなかったようだ。英語というとアメリカが思い浮かばれるが、実際はそうでもない。もはや中国やインドの影響力は無視できないし、韓国やロシアなどの近隣諸国との交流も最重要課題だ。 アメリカ・ヨーロッパだけが世界じゃない。だがまだそれは広く浸透してはいないようだ。
【語学を勉強するということは】
黒人天才というアーティストは日本人の女の子が好きでたまらなく日本語を勉強したそうだ。
私も韓国に始めていったとき、そして短期留学で知り合った友達との交流を通じてもっと深くコミュニケーションしたいという動機から韓国語を勉強した。こちらから交流したいと思ったのだから、相手の国の言葉を勉強するのは私の方だ。私の方から飛びこんだからだ。
日本に飛び込んでくる人が多ければ日本語だけでコミュニケーションが出来るだろう。実際に韓国や中国では日本語学習者の数は相当数に及ぶし、中国では日本人向けのコールセンターなんかもあったりして日本語を使う仕事も増えている。これらはみな日本に飛び込んでくる方だから日本語を勉強してもらいたい。
それでは、こちらが海外に飛び込んでいく時どうすればよいだろうか。やはりそこには言語の壁がある。その壁をどれだけ強く突き破りたいと思うか。それが言語の上達の鍵を握っている。
日本の子供たちが、その壁を突き破りたいと思う、そんな強烈な動機付けができれば語学の習得など簡単なことなのだと思う。
【ロミオとジュリエット】
そこに障害があればあるほど燃えるのが人間だ。だが、障害物の外に興味が無ければその障害物は何の意味もない。
ロミオな日本の子供たちにはジュリエットが必要だし、ジュリエットな日本の子供たちにはロミオが必要だ。
そんな教育をITを使って実現できれば面白いと思う。
【実は】
実は私も個人的に今国境の壁に遮られている問題がある。でも、だからこそ熱く燃えるのだ。
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