イルカ漁についての批判も多い太地朝ですが、捕鯨の町としての方が有名です。これらの伝統産業について海外からの批判が起こった時、どのように対処すべきでしょうか。
伝統産業の海外からの批判は日本だけの問題ではありません。たとえばどこかの国で、伝統として、子供を生贄として捧げる習慣があったとしましょう。あなたは反対しますか?
おそらく、猛烈に反対するでしょう。現代の人権感覚からはかけ離れた文化だからです。ただその習慣を持つ国としてはこれは我々固有の文化であって伝統なのだと主張するかもしれません。
これは極端な例ですが、日本にも多くの伝統文化がありましたが、時代の感覚に合わなくなり消えていったものも多くあります。捕鯨もその内の一つでしょう。身近な例では和服の日常での使用などもほとんどなくなってしまいました。
このように様々な伝統文化が今時代の節目にあって世界や国内から批判にさらされることがあります。その時にどのようにこの問題を解決すべきでしょうか。
私はこの問題を二つに分けるべきだと考えます。一つは「伝統文化を残すということ」もう一つは「その伝統文化に支えられて生きている人たちをどのようにして守るか」ということです。
伝統文化を残すというのは、必ずしもそれを続けるという意味ではありません。太地町の例では、捕鯨博物館の建設などでかつて捕鯨で栄えた町であるという事実を残していきそれを町のアイデンティティとしていこうとしています。このように、内外の圧力や需要の減退などで消されそうな文化に対し、その文化が存在した事実を記録するという行為に対しては多くの共感を得られる可能性が高まります。
捕鯨反対を声高に叫ぶ人たちも、「今は捕鯨はやっていません。ただ、捕鯨で栄えた町であるという記録を後世に伝えるための資金を提供してください」という提案には首を縦に振る可能性が高いといえます。それを否定することは、その人の生きてきたバックグラウンドを否定することにもつながるためです。
特に海外からの圧力に関しては「外圧に屈した」という意識からかかたくなに反対することがありますが、もしその伝統文化が行われなくなることによって失う職を代替するものが得られるのならば、あえてそれに従うというのも一つの方法だと思うのです。
イルカ漁が批判にさらされています。ここで、イルカ漁を止める(食用に関して)という決断をし、その代りここでそのような伝統産業があったことを伝えるための活動を支援してほしいと申し出たならば、世界中から観光客も来ることになるし、資金も集まる。そして結果的に伝統産業を保護する(伝統産業を保存する)ことができることになり、さらに新たな観光産業としての価値が生まれて雇用も生み出すことになります。
海外からの批判が強い。産業ではなく、伝統産業を残す為にその仕事を行っている。そのようなケースの場合は、保存を保証することと引き換えに産業の休止を決断することは、かえって伝統産業を守ることにもつながるのではないでしょうか。
漁に関して言えば詳しい漁法を解説したマニュアルや、ビデオ資料などを豊富にそろえた資料館や実際の訓練などを海外からの観光客から得られた資金で行うことで、将来その批判が無くなったとき、あらためて堂々と復活させることもできるはずです。
続けるために止める。
パラドックスのようですが、一つの方法論として提案します。
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