http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2008021200099&genre=F1&area=K60
いじめ被害は口頭で友人や教職員に訴えにくいことから、いじめを見かけたり、いじめられた時はバッジを外してSOSを伝える試み。 (中略)
1年生と3年生はそれぞれ、「みんなと仲良くします」「誰とでも笑顔で接します」と後野文雄校長に誓ってバッジを受け取り、胸元に着けた。2年生には13日に手渡す。教職員も付ける。 後野校長は「いじめ被害を言いにくければバッジを外してほしい。教諭たちがすぐに相談に応じるから」と呼びかけていた。
本気でやっているのか冗談なのかわからない。「生徒の自主性」に先生が口を挟めなかった悲劇なのかもしれない。 バッジを外すという行為がいじめを受けているという行為と等しいということは、いじめを受けている事実を全校生徒に知らせながら歩いているということになる。先生にコッソリ打ち明けるのとどちらが勇気のいる行為かは明白だ。
白糸中の先生方は本当にこれでいじめがなくなるとお思いなのだろうか。こういう問題に対して論理的に考えるというのも教育の一環なのではないだろうか。学ぶ力を育てるといったことや民主主義教育というのは、このような矛盾を抱えた制度に対し物を言う批判精神を育てる事なのではないだろうか。
校長先生。本当にこれでいいんですか?
追記:
今回は、あまりにも荒唐無稽なこんな案がどうしても信じられなかったので該当中学校へ事実の確認をしてみた。
お忙しい中、頭先生から丁寧なメールを頂いた。
真相は、該当の新聞の記事は全くの誤解で、バッジを外して知らせるというのではく、相談者と話をする時に言葉で言いづらいのであれば相談する時にそのバッジを渡して意思表示をするということだそうだ。しかも、本来は2年間のいじめ根絶活動の集大成として、いじめを根絶するという決意表明の意味を込めたものということだ。
校長先生の表現の仕方も少し足りなかったかとも思うが、事実が曲がって伝わることの怖さを感じた一件だった。
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