元々人の行動範囲や情報源は限られており、どこかのよりどころを基にしなければ情報に対してそれが信頼できるかを判断できない。学生時代のそのよりどころとなるのは教科書であったり、先生と呼ばれる人の説であったり、辞書であったりする。それでは社会生活上でのよりどころとはどんなところだろうか。新聞・雑誌・TVのようなマスコミや身の回りの信頼できそうな人物であろう。
では、真実かどうかはどうやって分かるのだろうか。自分で実験してみる。実際に行ってみるといった直接体験や、実社会では会社の登記簿を法務局に閲覧に行くなど、これも実体験を伴えば真実は明らかになりそうだ。つまり、信頼できる情報が真実か否かは媒体を介して聞いただけでは分からないともいえる。
例えば、海外事情などは特にその傾向がよくでてくる。一部の古い情報しか知らない人にとって海外の都市というのは作られたイメージでしかない。既に大都会で洗練され清潔な都市となっているにも関わらず「○○って屋台がたくさんあって汚い町だ」というのを真顔で言う人もいる。唯一の解決策は直接現場に行ってもらうことだが、誰もが出来ることではない。
つまり、他人やマスコミから聞く話は「その話はあなたが言うんだから本当だろう」というレベルのもので、真実そのものではないということだ。普通の人では証明し得ない事象に対してはマスコミや口コミだけが頼りだ。身の回りにはそんな不確かな情報が氾濫している。詐欺やニセ科学にいとも簡単にひっかかってしまうのもそんな状況があるからだ。
蕎麦屋の出前の「今出来たところ」というのを信じる人は少ない。だからといって実際に行って状況を確かめる人もいない。結局はその説が押し通されてしまう。
これほど不確かな情報の中で生活していることを自覚することが重要だ。そして、できるならばより多くの情報源を持つことも必要だ。はじめから「それウソでしょ。」「そんなの信じないよ」というとコミュニケーションは成り立たない。人の話を信じつつ、実証できるものを探すしたたかさも必要なのだと思う。
メディアリテラシーというと、マスコミやインターネットの活用という捕らえ方だが、もっと大きく捕らえ、人から聞いた話や友達が伝える口コミなどにも媒介に変わりはないのだからリテラシーが必要だ。
また、穿った見方をされない真実を話す信頼できる人になるという個々の努力も同時に重要だ。
[いいですね] う~ん・・・難しい。
あたしゃ、行間を読むことと、演繹することを心がける。
しかし、記憶力が悪いことと、すぐ飛び込んじゃう性格のせいで、うまくいかない。
投稿情報: yoshibo4 | 2007/09/28 21:26
メーレイビアン(Mehrabian,1968)の説で言語は全体のコミュニケーションの7%しかないというのがありますし、実際に人との会話では身振り手振りや声のトーンなども影響するのかもしれません。う~ん。難しい(^^;
ローマは一日にして成らずです。
投稿情報: Eric | 2007/09/28 22:13
ああ、聞いたことあります。面と向かって話すと、少し%があがるようですね。
それでも、20%もいかなかったと・・・。
同じ内容でも、相手によって言葉を選ぶことですね。
ハッハハハ(乾いた笑い)
投稿情報: yoshibo4 | 2007/09/29 21:43