プールの水を栓を抜く方法以外でなくせといわれたらどうするだろうか。
生活倉庫の社長の著書にあった例えだが、彼の結論はこうだ。
目の前にはおちょこしかない。そこであれこれ考えるよりもまずおちょこでくみ出す。
そのうち、休憩した場所でコップが見つかるかもしれない。
さらにバケツが見つかるかもしれない
最後にはポンプが見つかるかもしれない。
たとえおちょこしか見つからず、一生おちょこで水をくんでいてもそれはそれで良い人生だったと思えるのではないだろうか。
どちらにいくにしても、まず一歩を踏み出さないといけない。
なかなかいい例えだと思った。
大きなコップを探し回って何もしない人生よりも、目の前のおちょこで水を汲み続ける人生の方がどんなに豊かか。
そんなことを教えてくれるような気がした。
私自身にとってのおちょこは何だろうか。
そして、それで水を汲み続けているだろうか。
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