http://www.nikkei.co.jp/news/keizai/20100214ATFS1300W13022010.html
14日の日経新聞1面の記事。
聞きなれない言葉なので、いろいろ調べてみると、ずいぶん前から労働形態として研究されているようです。協同労働の協同組合で、同形態で働く人は3万人にのぼるそうです。働く人が出資者と経営者を兼ねるという点と、出資額にかかわらず一人に一票の議決権があるという点が特徴のようです。現状は法制化されておらず、融資の主体や公共事業の委託先に法人としてなれないなどの点から今回法制化を目指しているようです。
http://job.yomiuri.co.jp/news/ne_09112706.htm
実際の組織運営は上記サイトにすこしかかれていますが、
経営方針などについては、職場の代表者が参加する月1回の「理事会」で決め、賃金など労働条件については理事会の下に置かれた「賃金労働委員会」で話し合われる。
とあるように、労働者が経営者だとしても、例えば100人いる労働者全てが経営に参画するというのは非現実的であり、実際に機能しないと思います。やはり、代表を選び、その代表が理事会を行うといった通常のヒエラルキー構造に収斂されていくのだと思います。
また、働く人が経営者だとしても、事業として収入を得なければならないということを考えると、拡大している時は良いのですが、事業を縮小せざるを得ない時にこの組織形態では大きな問題が起こることが想像されます。働く人を減らさなければならないという事態が想定されたとき、だれがその決定を下すのか。非常に大きな問題です。全組合員が責任を担うというのは全員が責任をとらないということにもなるということを考慮しなければなりません。
資本家と労働者という二項対立の無い労働環境というのは古くから目指されてきたものでありますし、理想としてはすばらしいものでもあるかと思います。しかし、労働者の代表として、理事会を作った瞬間、その理事会は権力となり、新たな二項対立を生んでしまいます。そもそも、労働者が出資して株式会社を作り、経営を取締役会に委任するという形態との違いがあまり明確でないようなきがします。この方法であれば、利益が出た場合は労働者へ出資額に応じた配当がありますし、経営陣を監督するのも出資者(オーナー)として出来ます。 出資額にかかわらず一人一票という概念よりも、出資額に応じた配当の方が納得性が高いと思いますがどうなのでしょうか。一人の多額の出資者に牛耳られてしまうということを恐れるのであれば、株式会社の一形態として、出資額が1%を超えてはいけないなどの制限を加えた法人格というのも考えられるのではないでしょうか。
なぜ、このように思うのかというと、経営は特権ではなく、スキルであると考えるからです。働く人がみんなで考えるよりも、経営のプロがその運営を行った方がよい場合もあるのではないかと思うからです。その上で労働者自らが監督者として会社の出資者となれば、理想のガバナンスが出来るのではないかと考えます。
以前のブログに書きました個人の寄付によるNPOの運営もそれに近い考え方になります。
チェーン店のレストランは厨房が見えるオープンキッチンがほとんどです。それは、お客様が監督者として働く人を監視するという仕組みを応用したものです。オープンキッチンにすることによって、お客様に見られてはまずい言動を未然に防ぐことができます。同じように、経営が密室で行われるのではなく、資本家としての労働者にその報告がされる仕組みであれば同じように横暴や不正を未然に防ぐ仕組みとして働くのではないでしょうか。資本家が私腹を肥やして労働者が搾取されるといういわゆる階級闘争的なイメージがこれで防げるのかもしれません。
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