今、個人的な通信手段を持つ子どもたちが様々な情報にアクセスできる環境にあることから国による規制が検討されている。ネット業界からは反対の声も多いこのネット規制を始める前に立ち止まって考えてもらいたい。
子どもたちには自由が与えられすぎているのではないだろうか、例えば高校生が行き先も告げずに朝帰りするなどということも親が放置しているということも聞くことがあるし、個室でネットに自由につながっているという環境もある。しかし、ネット規制や有害情報の規制といったものはどうしてもいたちごっこになってしまう。もっと根本的な解決策を持たなければいくら声高に青少年健全育成などと叫んでもその努力は水泡に帰す。
根本的な解決は放置することをやめることだ。しかしながらそれには大きな壁が立ちはだかる。まずは見守る人がいないということ。労働力の問題でも記事にしたが、今後労働力が枯渇してくる現状では両親共働きという家庭が益々多くなってくる。しかも核家族化が常態化している現実ではどうしても子どもを放置しがちだ。しかも、地域で見守ろうなどと言いながら結局は希薄化した地域社会で何もできずにいることが多い。
もう一つは最新の情報機器に対する知識が大人と子どもで逆転しているということだ。親世代が見たことも聞いたことも無かった機械を子どもたちが操作している現実では大人が適切に対処できるだろうか。新しい技術は数十年かけて進歩してきたからそういった問題はこれまではあまり起こらなかったが、携帯電話に関してはほぼ10年で劇的な変化を遂げている。ネットや携帯が悪いという人たちはまるでそれがブラックボックスに見えていることだろう。
幼児期の子育てから開放されてようやく自分の時間が持てると安らぎを感じている親世代の方も多いだろう。しかし、もう少しせめて18才まではもっともっと子どもを放置しないように見てあげてほしい。それは子どもが大きくなった時に大きな果実として返ってくるはずだ。子どもを放任することは”かっこ悪い”ことだという雰囲気を社会全体で作ることで少しはこの問題も動き出すのではないだろうか。また、親に隠れて悪いことをすることは刺激的で自分が自由になれる気がするしそんな気持ちをもっと持ちたいというのは自然な意識だ。でも一線を超える前に親の顔が浮かぶように日ごろからあきらめずに言い続けることも必要ではないのだろうか。
と、独身の私が僭越ながら考えてみた
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