http://business.nikkeibp.co.jp/article/tech/20070302/120216/?P=1
取り扱う情報の範囲が広がれば、ユーザーの範囲も広がる。ユーザーの範囲が広がれば、ますますDiggする情報の範囲が広がる。まさに、ディグのユーザーは群衆となっていくだろう。でも、その場合、群衆の叡智のクオリティーは維持できるだろうか。一般的なコンテンツになるほど、流行や感覚に左右される可能性は高い。群衆の叡智ではなく、単なる群衆心理を表したサイトになってしまうのか、それとも、群衆の叡智がページランクを凌駕するのか。ディグによる壮大な実験は続く。
DiggやWikipediaなど多くの人の賢明な判断によって情報が整理されていく。そんな一人のカリスマ編集者でなく群集の叡智によってサービスクオリティを維持していこうとするソーシャルメディアが増えてきている。
みんなの意見は案外正しい。という前提に立ったこれらのサービスと2chを比較してみると危険性が見えてくる。
2chでは正論も多いが例えば外国人に対する敵意をむき出しにした発言や祭りと呼ばれる一つの話題に熱狂する状態が生まれている。2chも「みんなの意見」を集約する場だとすれば、そこには上記記事のように群集心理で思わぬ方向に進んでいってしまう危険性が無いとは言えないのではないだろうか。
知識の深みによって生み出されるクオリティは違う。そうであれば、群集が叡智を生み出すのではなく、群集の中から叡智を探し出すと言った方が正しいかもしれない。 新聞の編集者でなくても、それ以上の深慮遠謀を持つ一般ピープルが存在する。そんな人たちを探し出し、その人たちが意見を発表し易い環境を作る。それを良いと判断する人々がそれに続く。そしてDigされた情報はすべからく共有される。
そんな新しい環境を作り出したのが昨今のソーシャルメディアではないだろうか。
「祭り」の中で、的を得た発言をする人もいて、読んでいてすごく刺さるんだけど、その発言そのものは別の場面では見かけられなそうで。たとえばシーンとしたところで高みから言う、というイメージがない(そうだとしたら、違うタイプの人たちの違うタイプの発言かと)。彼(彼女)は実は「祭り」が好きなんじゃ、などと思ってしまった(笑)。
あくまで私の2ちゃんを見ていたときの記憶と感覚ベースですが、彼らにとって「意見の言いやすいノイズ」が存在すると思います。
投稿情報: withoutsugar | 2007/03/11 10:39
匿名かそうでないかに関わらず、「自分の場所」を持っているかどうかがその差かもしれませんね。ブログにしてもソーシャルブックマークにしても、「自分の場所」を基地にしてそこから発信した情報が有機的につながるイメージですので。
投稿情報: Eric | 2007/03/11 11:32