暗闇の中で数人が象を触って、その結果、象とはどんなものかという問いに対し、太鼓のようだ、枕のようだ、篭のようだなどとそれぞれが触った部分を基にした象の印象を伝えたという話。真実というものと、各個人が思っているその対象に対する意識とは乖離があって、ほとんどはその個人の思い込みや一部だけを見てからの判断によることが多いということを表す寓話であると思います。
多様な機能を持つものを一つの言葉で表すことの愚かさを表す語として、私はこのElephant in the darkという言葉を捕らえました。例えば、ある人を指して「あの人はやさしい人だ」といってもその人の一部を表すことにしかならないでしょう。またある国を指して「この国は30年前の日本のようだ」という指摘をする人も、30年前の日本にあった一部の物事との共通性のみに注目して全体をそのような国だと捉えてしまう罠に陥っているのだと思います。
ある物事を一つの言葉で表す便利さというのもあります。それでコミュニケーションが大きく進むこともあるからです。しかし、それを使う人、聞く人が常に「Elephanat in the dark」という意識を持っていれば、偏見で対象を見誤る危険を少なくすることが出来るのではないでしょうか。
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